学校の先生は緘黙の子を助けたい?

緘黙の子を助けるために

親と保護者 専門家が協力して緘黙の子の支援をする。

こういう話を聞いたことがあると思います。
もともとは外国の本を翻訳したものです。
確かに言っていることは正しいというか
それを実行すればいいのは間違いありません。

ただ肝心のことが抜けていると思うんです。
専門家が見つからないというのもありますが

それに加えて学校の先生(保育園 幼稚園の先生含む)
は無関係な赤の他人だということです。


緘黙の本やHPを見てみると

学校の先生が「緘黙の子を助けたくて助けたくてたまらない」

ということを前提に書いてありますが

教師にとって緘黙の子の将来がどうなろうと関係ありません。

緘黙の子が将来不幸になったら親や本人は困りますが
学校の先生は全く困りません。



学校の先生は大人になったらというか
1年たって担任から外れたら無関係になります。

学校の先生は生活のために
収入を得るための手段として学校の先生をしているんです。


仕事としてやらなければいけないことならしないといけませんが
そうでないならやらなくても仕方ありません。


緘黙を治すのは学校の先生の仕事?

緘黙の子に対して正しい対応をする

それってどこまでが学校の先生の仕事でしょうか?


教師の仕事って

明確に決まっている部分と

明確には決まっていなくてあいまいな部分があったりします。


たとえば授業をする これって教師の仕事として

明確に決まっています。

ここをさぼったらまずいですよね。。

あと通知表をつけるとか

もし「面倒だから通知表をつけない」なんてことを

したら大問題になります。

じゃあ 親が緘黙について理解して欲しいから

緘黙の本を渡して「読んでください」と言ったらどうでしょうか?

緘黙の本を読む

それって教師の仕事か?って聞かれたら

微妙な問題ですよね。

緘黙の本を読むだけでなく
緘黙の子に対して
こうするといい ああするといい
と言う方法はありますが
それって要望されたら必ずやらなければいけないことでしょうか?

学校の先生にしてみたら

緘黙の子が話せるようになっても
ボーナスをもらえるわけでもないし
出世できるわけでもありません。

中には仕事としてやらなくてもいいことでも
協力してくれる先生もいると思います。
ただそれは善意であって当事者や
子供の将来と大きくかかわる親とは違います。

教師は親や当事者と同じ気持ちには決してなれません。
それに担任の先生にしてみたら30人ぐらいいる生徒の一人です。
親と同じくらい努力するのは無理です。

ここをわかっていないと

一方的に学校の先生に無理な要求をしてしまい。

お互いに嫌な思いをすることになります。

まとめ

学校の先生は仕事だからやっている

仕事の範囲はあいまいな部分がある。

緘黙の子が治ったからと言って

教師の利益にはならない。

仕事を超えた部分はあくまでも善意でやっている。



緘黙の子を助けるのは親が中心になるべきで

成長とともに本人の比重が大きくなる。

学校の先生には協力してもらう 

という気持ちが大切です。