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プロフィール

年齢:大人です。

性別:男

趣味:ゲーム(最近はゼルダ マリオ スプラトゥーン2)

性格:人に指図されるのが嫌いな自由人

職業:高校を卒業してとある工場に正社員として就職しましたが

人間関係が原因で3か月で挫折

その後、非正規雇用で工場勤務を転々としますが8年ほど前から

ネットビジネス専業で生活をしています。

子どもの頃の生い立ちと家族関係

父親 母親 3つ年上の兄

僕の4人家族でした。

父親:ヘビースモーカー 自営業 まじめな性格 当時の人にしてみたら背が高くがっちりした体形

母親:いい加減な性格

兄:3つ年上 世間一般の兄に比べたら優しいと思う

緘黙の人の本やブログを見ると

親が厳しいとか毒親の人も結構いるようですが

僕の親は毒親ではありません。

少なくても子どもの前では夫婦喧嘩をしたことは一度もないし

子どもに対しては特別優しくもなければ特別厳しくもない そんな感じです。

小さい頃は毎週 日曜日は父親の運転する車で家族4人で必ずどこかに遊びに行くと言う家庭でした。

おかげで金がたまらなかったらしいですが家庭環境は良かったです。

聞いた話によると赤ん坊のころは母親が病気で父親に育てられたそうです。

割合雑に育てられたそうですが(赤ん坊の僕がどこかにハマってあがいていてもほっておかれたらしい)

その分自由に生きていたようです。3つになった時に幼稚園に入園することになります。

幼稚園時代

もともと体が小さいうえに2月生まれと言うこともありかなり他の子に比べて小さかったです。

入園する前に母親に向かってある人が「こんなに小さいのに幼稚園に入れたらかわいそうだ。」

と言ったそうですが

母親は「お兄ちゃんは幼稚園に入れて元気になったから大丈夫」そう考えたらしいです。

3歳で幼稚園に入れられたので最初の記憶はありません。

母親曰く 「行くのを嫌がったけど無理やり幼稚園に送り込んだ」そうです。

行くのを嫌がった記憶は僕にはありません。

なのでほんとに最初のころだったんでしょう。

僕としては気づいたらしゃべれなくて孤立していた。そんな感じです。

幼稚園はまったく楽しくないというか辛い出来事ばかりでした。周りに子供がみんな自分より大きいし幼稚園教諭がものすごく性格の悪い女で仕事としてやれと言われたことを意味も分からずにやっている。

自分の価値観を押し付ける相手の立場や気持ちを考えない人間でした。

緘黙だからひどい目にあわされた と言うより他の子に比べて不利な面が多かったためにひどい目にあわされて

(もともとなりやすい性格+ひどい目にあわされて)

緘黙になったような感じです。幼稚園では他の子とは全く話せませんでした。

昼休み時間に遊んだことは一度もありません。一人遊びすらしませんでした。

そんな僕を幼稚園教諭が見ていて「あんたの子どもは他の子と遊ばない」と母親に文句を言ったそうです。

母親には「隣の席の子の名前を憶えてきなさい」と言われたのを覚えています。

行けと言われたから行っただけでやる気がまったくなく隣の席に座っている子の名前が何であろうとどうでもよかったんですが母親がしつこく言うので隣の席の子の名前を覚えましたが結局3年間 友達ができなかったし誰とも1度たりとも遊ぶことがありませんでした。

母親にしてみたら自分の子どもが幼稚園でうまくいっていない

薄々わかっているけどその不都合な現実が受け入れられない。

僕は僕で行けと言われたから無理やり我慢して幼稚園に行っているだけで何のために幼稚園に行くのかとか?どうすればいいという答えがまったくわかりませんでした。

親にしてみたら幼稚園に入れると良い何がいいんだかよくわからないけど良い。入れたらあとは幼稚園が何とかしてくれる。

幼稚園教諭の立場に立ってみると僕のことは「出来の悪い園児」と思っていたんでしょう。

たくさんいる子供の中に一人できの悪い園児がいる

たくさんいる子供の中の一人が落ちこぼれていても問題ない。

小学校時代

入学した当初からやる気がまったくやる気がありませんでした。

勉強があるだけで幼稚園と変わらず嫌なところだろうと思っていました。

ランドセルをもらって全くうれしくなかったことを覚えています。

小学校時代も全くうまくいっていませんでしたが不登校なんて親が許してくれるはずもなく無理やり我慢して小学校には通っていました。

たまに風邪をひいたと嘘をついてずる休みはしましたが長期にわたって休むことはありませんでした。

小学校でも結局 友達ができなくて誰とも遊ぶことはありませんでした。

他の子と普通に話すなんて考えもできませんでした。

学校では他の子とは話せませんでしたが本読みとか手を挙げて発表とかはやろうと思えばできました。

やる気がないので発表とかはしませんでしたが・・・

小学校時代は同級生に話しかけることができませんでした。

3年の時の担任にはそのことでひどく怒られたことがあります。5年の時の担任はクラスの生徒に対して

毎日、日記を提出する宿題をだしましたが僕は作文が書けなくて最後には「お前は見捨てた」と言われたりしました。

6年の担任には声が小さいと何度も返事をやり直させられたことがありますが

あまりにもしつこい しつこいにもほどがあるその時はつらいだけでしたがあれは間違いなく奴には悪意があってやったことだと思っています。

学校以外ではどうだったのか

学校では必要最低限のことしか話せなくて

他の子と打ち解けることはありませんでしたが

学校以外ではわりと普通に話せたことを覚えています。

学校以外ではおばあちゃんとは話せた。

いとことも話せた。

兄の友達とも話せた。

買い物でも話せた。

近所の友達とも話せた。

初対面の同年代の子でも学校以外なら話せた。

他の人の体験談を読むと家を一歩出ると話せなくなる

家族以外と話せない

そんな子も多いみたいですがおとなしい性格ではあったけど学校以外では普通に話せました。

家族で船に乗った時ははしゃいでしまって知らないおじさんに「落ちると危ないから座ってなさい」と言われたこともあります。

中学時代

小学校時代と全く同じ人間関係でした。他の学校から来る人もいなければ別れる人間もいません。

小学6年の時の担任の教師からのいじめによる影響で中学1年の時は他の子からかなりいじめられることになります。

さらに管理教育真っ只中の時代でした。僕の前の世代が不良化したためそれを防ぐために教師はとにかく生徒を厳しく取り締まろう。そんな感じでした。

そんな学校にリラックスできるわけもなく

全く緘黙は改善されませんでした。

卒業した後 当時の校長が新聞で荒れる学校にならないように努力したと自画自賛していました。

管理教育で不良化を防いでも自慢にはならないよ。

高校時代

勉強ができなかったためレベルの低い学校に行くことになります。

高校でもまったく緘黙が改善することがなく小学生や中学生時代と違って話しかけてくれる人もいましたが結局、話せるようになりませんでした。

学生時代の感想

僕の学生時代を振り返ってみると完全に失敗でした。

他の人の体験談を読むと僕より緘黙の症状が重くて学校以外でも話せないとか家族以外とは話せなかった人でも学生時代に他の子と普通に話せるようになった。と言う人も多いですが

僕の場合 軽いのに治らないって…

治らなかった原因は教師運がなかった。

もともと体が小さい+早生まれのマイナス面も悪かった。

あとは落ちこぼれてしまってわけがわからず学校行って立ち直ることができなかったのが原因ですね。

僕の学生時代は失敗でしたが正直、やりようによってはうまくできたと思っています。

学生時代に緘黙を克服できたかもしれないし克服できなくても友達ができたり楽しく学校に行くこともできたと思います。

もし教師や親が緘黙のことを知っていたらどうなったか?

たぶんあまり変わらないんじゃないかと思います。

緘黙の本を読むと教師がこうするといいああするといいと言うことがいろいろ書いてありますが

そもそも教師が緘黙の子を助けたい。

そういうことが前提になっています。

幼稚園教諭や教師って緘黙の子を助けたいの?

もし 幼稚園教諭の奴にこうするといい

ああするといい。

などと言っても「何でそんなことをやらなければいけないだ。」

と言われるだけだと思う。

もし小学校の教師に支援を頼んだらどうなるのか?

ある程度協力してくれる人もいたかもしれないけど正直、難しいかなって思いますね。

基本的に学校の教師が一人一人の子どものことを考えて子どものためになることをしようそういう意識がないんじゃないかと思うんです。

今は時代が違うから昔ほどではないのかもしれませんがそれでも教師が非協力的とか緘黙のことを知っているのにひどい対応をとられたという話を聞いたことがあります。

そこでこのHPでは教師が非協力的でも緘黙を克服する 緘黙でも幸せになれる方法をいろいろ考えていきたいと思っています。