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緘黙の本やブログには、こんなことが書いてあります。
学校の先生は「騒がしい子に目が行きがちで、話さない子の問題まで気が付かない」「だから緘黙の子は教師に助けてもらえない」「だから緘黙の子を支援する方法を知ってもらおう」
誰が最初にこんなこと言ったんでしょうか?恐らくこれを書いた人は誤解をしているのだと思います。
- 学校の先生は正義の味方で、子供を助けるためにいる
- 正義の味方の学校の先生がいるのに、何で助けてくれないんだ
- そうだ。騒がしい子に目がいきがちで緘黙の子の問題に気が付かないんだ
騒がしい子に目がいきがちって、うるさいから注意しているのであって、助けているわけではありません。
Contents
学校の先生は職業
さすがに全く話していない子がいたら気が付きます。なぜ助けてくれないかと言うと話していない子を何とかする方法なんて知らないからです。それに知ったからと言って実践するかどうかはその人次第です。
教師は正義の味方ではありません。教師と言うのは職業です。収入を得るための手段として学校の先生をしています。仕事としてやらなければいけないことはします。やってもやらなくてもどっちでもいいことなら、やるやらないは自由です。
それに教師と言うのは緘黙の子を助けたいとは思っていません。
こういうこと言うと反発する人もいると思いますが、これは事実です。
学校の先生は緘黙の子を助けたいわけではない。親がここを理解していないと必ずすれ違いが起きます。
「そんなことはない。すごく熱心に緘黙の子のためにいろいろしてくれる教師もいる」
実際にそういう先生もいると思います。でもその先生はなんで緘黙の子のために行動したのでしょうか?
仕事としてやらなければいけないからですか?
それとも善意ですか?
緘黙の子を助けると何か自分にとってメリットがあるのでしょうか?ボーナスをもらえるわけではないし、出世できるわけではありません。少なくても個人的に緘黙の子を助けたい欲求があるわけではありません。
結局のことろ仕事としてやらなければいけないこと以上のことをするのは善意なんです。
例えば道に迷っている人がいました。あなたはその人に道を教えたりあるいは目的地にまで連れて行ってあげました。あなたはその人を目的地まで届けたい欲求があったのでしょうか?ないですよね?あくまでも善意であって個人的に目的地まで届けたい欲求があるわけではありません。もし苦労して道案内をしてまったく感謝されなかったらなんか微妙な気持ちになると思います。緘黙の子を教師が助けるのも同じなんです。
親と教師の立場の違い
それでは親はなぜ自分の子どもの緘黙を治したいのでしょうか?
自分の子どもなので大体の人は愛情がありますよね。自分の子どもに幸せになってほしいというのは当然だし、それに子どもの緘黙が治ると自分の利益になります。
将来引きこもりになったら自分が面倒を見ないといけないし、逆に幸せになったらその幸せは自分にも影響を及ぼします。はっきり言うと親が子どもの緘黙のために努力するのは、自分の利益のためです。
教師が生徒の緘黙を治すために努力するのは、仕事だからです。しかも成果報酬をもらえるわけではありません。仕事としてやらなければいけない事以上のことをするのは善意です。それにどこまでが教師の仕事かはあいまいな部分もあります。
自分の利益のため努力する親とは根本的に違います。この違い。緘黙の本には書いてありませんがすごく重要です。
子どものためにすごく努力してくれる学校の先生がいてもそれは善意であって、自分の利益につながる親や当事者とは違います。
子どもの緘黙を治す。いったい誰が一番努力するのが正しいのかと言うと、一番利益を得る人です。この場合は、当事者と親です。教師はあくまでも仕事としてやらなければいけない範囲をお願いする。
仕事を超えた部分は善意なので、協力してもらえるようならありがたく協力してもらう。それくらいの気持ちでいたほうがいいでしょう。
まとめ
緘黙の本やHPを見てみると学校の先生が「緘黙の子を助けたくて助けたくてたまらない」ということを前提に書いてありますが
教師にとって緘黙の子の将来がどうなろうと関係ありません。緘黙の子が将来不幸になったら親や本人は困りますが、学校の先生は全く困りません。学校の先生は大人になったらというか、1年たって担任から外れたら無関係になります。
学校の先生は生活のために、収入を得るための手段として学校の先生をしているんです。仕事としてやらなければいけないことならしないといけませんが、そうでないならやらなくても仕方ありません。
教師は親や当事者と同じ気持ちには決してなれません。それに担任の先生にしてみたら30人ぐらいいる生徒の一人です。親と同じくらい努力するのは無理です。
ここをわかっていないと一方的に学校の先生に無理な要求をしてしまい。お互いに嫌な思いをすることになります。
緘黙の子を助けるのは親が中心になるべきで成長とともに本人の比重が大きくなる。学校の先生には協力してもらうという気持ちが大切です。