フェルミ研究所の緘黙動画の感想

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フェルミ研究所が緘黙を取り上げてくれました。動画には結構コメントがあったりツイッターでもいろんな人がこのことを話していますね。

この動画の感想をいろいろ話したいと思います。[br num=”1″]

この動画の内容は?

主人公は中学生の女の子です。場面緘黙で学校では話せません。(話せないので紙に文字を書いて自分の意思を伝えています)

そのことで同級生からからかわれたりします。(緘黙だったらあるあるですよね)

主人公はしゃべれなくても同級生の友達がいます。病院で場面緘黙症と診断されます。

病院では「コミュニケーションを増やせば改善されます」というアドバイスを貰います。

話すための努力をするために初対面の人に道を聞くようにして、緘黙を克服します。帰り道で友達と少し話しただけなので完全に克服したかどうかは疑問な終わり方です。

これはたぶんYouTubeの動画「場面緘黙に苦しむ君へ」のサキ・ギャラクシディス君を参考に作られているんだと思いますね。[br num=”1″]

この動画の批判的な意見

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肯定的な意見も多いですが、多少批判的な意見もあります。

多くある否定的な意見が

「努力すれば治ると誤解されると困る」

と言うものです。

まあみんながみんな努力すれば治るというわけではないのでそれも一理あったりします。

ただみんながみんな満足する動画って多分作れないと思うんです。

例えばこれが「教師や同級生が協力してくれて改善しました」

と言う動画を作ったら、「こんな良い先生や良い同級生ばかりではない」

と言う批判が来ると思います。

あるいは「努力しないで自然に治りました」と言う動画を作ったら「何もしないで治るわけはない」という批判が来ると思います。

すべての人を満足させる動画を作るのは不可能だから僕はこれでいいと思いますね。

人に道を聞くのは有効か?

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主人公の女の子は克服するために人に道を聞くということをします。

これは「場面緘黙に苦しむ君へ」のサキ・ギャラクシディス君がやった手法ですね。

これってどうなんでしょう?あまりこういう練習をしたという人他に聞かないんですが実際に有効なんでしょうか?[br num=”1″][br num=”1″]

僕が子供の頃を想像して考えてみました。

知らない人に道を聞けたか?僕は幼稚園に入った時から場面緘黙だったので、幼稚園児の僕が知らない人に道を聞けるかどうか?想像してみました。

たぶん知らない人に道を聞くのは無理だったと思います。だいたい幼稚園児だったら緘黙でなくても、知らない人に道を聞けない子が多いと思います。

そもそも幼稚園児が人に道を聞いたら迷子だと思われるだろうし。

小学生の時に知らない人に道を聞けたか想像してみました。

低学年だったらたぶん無理だと思います。6年生の時だったらどうでしょうか?ちょっと微妙ですね。

じゃあ、中学生だったらどうか考えてみたら、多分聞けたと思います。でもそれが緘黙克服に繋がったかと言うと疑問ですね。学校以外で話せても学校は別だと思います。学校って独特なものがありませんか?

僕の場合は人に道を聞いても、それが学校で話せるようになるとは思えないんですよね。

友達について

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主人公の女の子は一人ですが友達がいます。この辺も「場面緘黙に苦しむ君へ」のサキ・ギャラクシディス君と同じですね。

緘黙で話せなくても学校に友達がいるって言うのは大きいですよね。友達が1人いるだけで心強いと思います。

「友達は優しい」と言う感想があります。僕も優しいと思います。

ただし、この友達はこの緘黙の女の子と友達なのは、何らかのメリットがあるんだと思います。

いや別に実は腹黒いとかそういう意味ではありません。

ただの善意だけで友達って言うことはないってことです。話せなくてもこの緘黙の女の子と友達でいることが、楽しいとかそう言うメリットがあるんだと思います。

友達っていうのは相互に利益があるから友達なわけです。どちらかが一方的にメリットがある関係は正常ではありません。

お互いにメリットがあるということは大事なんだと思いますね。

緘黙でも学校で友達ができるようになるには、相手にどうメリットを提示できるかどうかが重要です。

まとめ

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フェルミ研究所に緘黙が取り上げられたのは大きいと思います。緘黙のことを知ってもらうことは良いことだと思います。

ただし知ったからと言って正しい対応をしてくれるわけではないので、知ってもらう以外のことも大事だと思いますね。