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最近、Twitterでこんなツイートを見ました。
牛乳が嫌いで飲めない子どもに対して、「牛の気持ちを考えろ、食のありがたみがわかっていない。」
今は令和ですよね?きっとこの人の頭の中は昭和50年代くらいなんだと思います。
この意見何が問題なのかと言うと3つの問題があります。
- 嘘をついて自分の意見を押し通そうとする
- 嫌いにもレベルがある
- 結果を見ない
嘘をついて自分の意見を押し通そうとする
「牛に失礼だ。牛の気持ちを考えろ」
牛はどんな思いでお乳を絞り出したか?
真面目に答えると牛は何も考えていないと思う。
何か知らないけど機械をつけられて勝手に搾乳されているだけです。
それとも学校の給食になって子供に自分の牛乳を飲んでほしいと思って苦労して搾乳されているとでも思っているんでしょうか?
そんなわけはないですよね。
そんなわけがないと自分でもわかっているはずです。
自分の主張を通すために子供だましの幼稚な嘘をついているのが一つ目の問題です。
これに限らず教師って子供相手だからと言って、子供だましの嘘をつくことがよくあります。
相手の子供も納得している場合もあれば内心おかしいだろって思っていることがあります。
正論で反論しても怒るだけだから反論しないだけなんです。
なんて言えば子供が納得するか?本当に思っていることよりも納得するだろうと思いついたことを言う。
子供だましの嘘をつくことで相手が納得したと思っているのかもしれませんが、嘘を見抜かれた場合は子供からの信頼は無くなっていきます。
好き嫌いにもレベルがある
好き嫌いなく食べたほうがいい。
はい、その通りです。
ただ好き嫌いと言ってもレベルがあります。
- 食わず嫌い
- ちょっと嫌い
- 嫌い
- どうしても嫌い
- 生理的に受け付けない
食わず嫌いとかちょっと我慢すれば食べれるくらいのきらいだったらいいんです。
ただどうしても嫌いとか生理的に受け付けない食べ物って人によってはあったりします。
教師は子供が嫌いって言っていてもどの程度の嫌いなのか見抜くことが出来るのでしょうか?
単なる食わず嫌いとか、ちょっと我慢すれば食べれるくらいの嫌いかどうかの見極めができるというならいいのですが、そうではなくてどの程度嫌いなのかとか何も考えないで強要してしまうのは問題です。
どうしても嫌い以上の場合に強要したらどうなるか?
給食の時間が苦痛になり、さらに学校までが苦痛になってしまいます。
そうなったら成績も下がる、人間関係もおかしくなる、やる気をなくすなどの様々なマイナス面が出てきます。
結果を見ていない
大切なのは結果です。牛に対する礼儀と言われたらみんな食べれるようになるんでしょうか?
食べれるようになるならいいんです。でもどうしても嫌いとか生理的に受け付けない子にたいして牛に対する礼儀とか言われても困らせるだけで終わってしまいます。
結果うまくいっているかどうかしっかり確認しているのでしょうか?
おそらく困らせているだけなんだと思います。
教師の本来の目的は?
子供に勉強を教えることです。子供の足を引っ張ることではありません。
学校は誰のためにあるのですか?牛のために学校があるんですか?
それだったら牛を中心とした学校にするべきだと思います。
給食の牛乳が苦手で学校が苦痛になって成績が下がったりやる気が無くなったりしても、牛に対する礼儀を優先する。
学校は人間の子供のためにあるのではなく牛のためにあるんだ。
それならそう親に言うべきです。
そうでなくて人間の子供のために学校があるなら、子供のためになることをするべきです。
まとめ
今の時代でもこんなことを言う教師がいるので注意が必要です。
学校のことは学校任せにしないことが大切です。
こういう教師に子供が仮に正論を言っても全く聞く耳持たないと思います。
ただ親が言えば結果は変わってくることの方が多いはずです。
子供が学校でうまくいっているのか?
うまくいっていない場合は状況によっては親が介入する必要があります。
給食についてはこちらの記事も参照してください。