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緘黙のことを知ってください。緘黙当事者からよく聞く意見ですけどこの「知ってください」っていうのは、知識として知って欲しいという意味ではなく「理想的な正しい対応をしてください」と言う意味なんだと思います。
緘黙の本を読むと、緘黙の子に対する正しい対応が載っています。
でも正しい対応と言うのは緘黙の子にとって正しい対応であって、他の人にとっては緘黙の子を助けるって何かメリットでもあるのでしょうか?
正しい対応をしないといけない理由があるのでしょうか?
教師の場合は仕事だから仕事の範囲内ならしてくれるかもしれませんが、同級生は他の人を助けるかどうかは自由だと思います。
だから知識として知ったからと言って、本に書いてあるような対応をするかどうかは別問題です。
知らないよりはましなので「知ってください」と言うのは間違ってはいないと思うんですけど・・・
知ったからと言って正しい対応をしてくれるわけではない。と言うことをわかっているのかなって個人的には思います。
知ったからと言って助けてくれるわけではないの実例
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わかりやすくするためにちょっとたとえ話をします。
ドラゴンボールと言うマンガ知っていますか?
物語の中盤当たりの話ですが、主人公の悟空の兄のラディッツがやってきてピッコロと組んだ悟空と戦って悟空もろともピッコロの攻撃でやられてしまします。
そこで死ぬ間際に「地球にはドラゴンボールと言うものがあって7つ集めればどんな願いでもかなう。だから悟空は死んでも生き返らせることができるんだ。」
っとドラゴンボールの存在を教えれます。
そこでラディッツは「この会話は他の二人のサイヤ人も聞いている」
「ならば俺もドラゴンボールで生き返らせてもらおう」そういって死んでしまいます。
で結局どうなったのか?
ベジータはドラゴンボールの存在を知った。でもラディッツを生き返らせるのではなく別の願いをかなえようとします。
ドラゴンボールのことを知って生き返らせることを知ったけど、知っているだけなんです。
知ったからと言って実行するかどうかは別の問題と言うことです。
悟空は仲間に生き返らせてもらえる。
兄のラディッツは仲間に生き返らせてもらえない。
その違いは何だと思いますか?
違いは大きく分けて4つです。[br num=”1″]
- 一緒に行動した義理
- 助けてもらった恩
- 生き返らせるメリット
- 仲間の人間性
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悟空がなぜ仲間に生き返らせてもらえるかと言うと一緒に行動した義理があるし、過去に悟空に助けられた恩もあります。それに生き返らせると、地球を守ってくれるわけだから自分にもメリットがあるわけです。
仲間の人間性の問題もあるでしょう。
でもベジータとラディッツは同じサイア人と言うだけでそんなに仲間意識もないんでしょう、それにたぶんベジータがラディッツに助けられたことなんてないんでしょう。
そしてラディッツ生き返らせてもベジータにはメリットないわけです。
あとベジータの性格の問題もありますよね。
ラディッツは当然生き返らせてもらえるものと思っていたみたいですが、長年ベジータと行動を共にしていたら生き返らせてもらえないくらいのことわかりそうですが・・・・
自分を例に想像してみた
僕は学校でひどい目にあわされたタイプですが、もし同級生が緘黙のことを知っていたらどうなったか?
想像してみました。
おそらくほとんど変わらなかったと思います。
僕は同級生を助けた覚えはありません。同級生と言うだけで一緒に遊んだこともないので義理もありません。
僕を助けても同級生にはメリットは全くありません。
なかには負担のならない範囲なら助けてくれる人もいるかもしれませんが・・・
悪意を持って攻撃してくる場合は、緘黙のことを知っていても知っていなくても関係がないんです。
僕の場合は、知っても助けてくれるわけはないですよね。
同級生が緘黙のことを知ったらどうなるか?
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緘黙のことを知って欲しい。知ったからと言って緘黙の子を助けるかどうかはその人次第です。
緘黙の子はクラスメイトとどういう関係があるのでしょうか?
過去に大魔王を倒して世界を救ったことがある。とまでは行かなくてもなにか感謝されるようなことをしたのでしょうか?
一緒に遊んだ義理でもあるのでしょうか?
他の子は緘黙の子を助けると何かメリットでもあるのでしょうか?
となるとあとは人間性のみですよね。
なかには自分の負担にならない範囲なら助けてくれる人もいると思いますが、正直あまり期待しすぎるのはどうかと思います。
もちろん人の助けを借りることも時には必要です。ただそれが相手の負担になるのは問題です。
クラスメイトはそれぞれ自分のために学校に行っています。他人を助ける義理はないわけです。
「話しかけてください」と言われても返事がないのに話しかけるメリットって何でしょうか?そもそも何を話せばいいのでしょうか?
他に人がたくさんいるのに、わざわざ話さない人とイエスノーで会話をしないといけないのでしょうか?
正直ちょっと難しいところですね。
人の好みはそれぞれなので友達になりたいと、その人が思っているならいいのですが・・・
知って欲しいはいいけど、知ったらどう変わるのか想像することって大事です。
実際問題、緘黙のことを知ったうえで気に食わないという人も一定数います。誤解ではなくてただいじめるのが面白いと思う人も一定数います。
知ったからと言って解決できるわけではありません。そこを理解することが大切だと思います。
まとめ
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知ってください。と言うのは間違ってはいないけど、知ったからと言って助けてくれるわけではない。
同級生は自分のために学校に行っている。助ける助けないはその人の自由。
基本的に同級生に助けてもらう筋合いはありません。
知ってもらうのは悪いことではないけど、知ったら助けてもらえるかどうか想像することが大切です。
知ってもらうことだけでなく、どうすれば学校でうまくやっていくか工夫することも大切です。