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緘黙のことを知ってください。

親や当事者からよく聞く言葉です。

緘黙のことが知れ渡ることはいいことだと思います。当事者や親が知ることはとても大事だと思います。

ただ、ちょっと誤解している人多くないですか?

学校の先生が緘黙のことを知ったらどうなるか?

ブログとかを見ると教師にひどい対応をとられた。この人は緘黙を知らなかった。

教師に助けられた。この人は緘黙を知っていた。

いや それ知識の違いではなくて人間性の違いですよ!!

保育園での話

ちょっと僕の話を聞いてください。僕は保育園に入った時から緘黙でした。

保育園のお遊戯の時間に僕が踊らないで突っ立っていると保育士が近づいてきて「おまえ 何で踊らないんだ」っと脅をかけてきました。


このおばさん(保育士)は緘黙のことを知らなかったからこんな態度をとったのでしょうか?

まあ、緘黙のことを知らないことは間違いないでしょうけど・・・

そもそも僕が踊らなかったのは緘黙だからではなくただ単にくだらなかったから踊らなかっただけです。当時から緘黙でしたがお遊戯くらいは踊れました。お遊戯会の時の写真が残っているので間違いありません。

じゃあ この保育士の対応は正しい対応だったんでしょうか?

違いますよね。

緘黙とか関係なくてそういう時は子どもの目線に降りて「俊太君 どうして踊らないのかな?」



と優しく聞くのが正しい対応です。

じゃあ この保育士は正しい対応を知らなかったんでしょうか?絶対に知っているはずです。知らないわけないですよね。知っていても正しい対応をとるのが面倒だったのでしょう。

僕が卒園した後、この保育士に父親が仕事関係で偶然会ったそうですがあまりの性格の悪さに驚いたそうです。(何を言われたのか知りませんけど)

もともと優しい人なら簡単なことですが優しくない人が、優しい人間みたいな態度をとるって結構面倒なもんなんです。

緘黙も同じで知ったからと言って正しい対応をみんながみんなとるわけではありません。

緘黙の場合も厳しく接するより優しく接するとか子どもの立場になって考えるとかが正しい対応ですよね。

優しくない人に優しく接してくださいっていうのは学校にいる間 ずっと善人を演じ続けてください。そういうのと同じです。


緘黙の子が教師にひどい対応をされた。それは知識の違いと言うより人間性の違いのほうが大きい。

知ったからと言って本に書いてあるような素晴らしい対応をしてくれるわけではない。

同級生も同じです。知ったからと言ってすべてが解決するわけではありません。

じゃあ どうしたらいいのか?知ってもらう活動は間違っているのかと言うと知らないよりは知っているほうがずっといいですが知ったからと言ってすべてが解決するわけではありません。

そこで僕が提唱したいのは知ってもらう労力に100使っているなら、その労力を少し減らして何とかする方法に労力を振り分けたほうがいい結果になるんじゃないかなって思っています。