幼稚園時代の話
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僕は3つのときにとある保育園(幼稚園)に入れられました。

そこは、保育園と幼稚園が一緒になっていて、年少は保育園、年中と年長は幼稚園だったそうです。

全部を覚えているわけではありませんが、部分部分覚えていることと親から聞いた話を書いていきたいと思います。

入園前

僕は3歳で保育園に預けられたからもちろん入園前の記憶はまったく無い。

だからこれは親から聞いた話。

生まれるときに母親か僕のどちらかが命が危ない状態だったそうです。

そのおかげかどうかわかりませんが、小さい頃は僕は母親が病気がちでほとんど父親に育てられたらしい。

聞いた話によると雑に育てられたようだ。僕がどこかにはまってあがいていてもほっておかれたらしい。

ただ雑な育てられ方でも逆に言うと自由に生きていんだと思う。あと母親いわく入園前は兄よりもしっかりしたことろがあったらしい。

僕が3歳になってしばらくたった頃に家に電話がかかってきた。

「お宅の子をうちの保育園に入れませんか?」

母親は保育園に簡単には入れてラッキーだと思ったそうです。

僕は体が小さくおまけに早生まれだった。母親曰く保育園に入れると知り合いの人に言ったら

「こんなに小さいのに保育園に入れるなんてかわいそうだ」と言われたらしい。

母親は兄も同じ保育園に入って兄の場合は元気になったから大丈夫そう思いまったく気にしなかったらしい。

その人も具体的にどんな目に合わされるか予測できたわけではないだろうけど

漠然と大丈夫なのかな?と思ったんだろう。実際その人の予感は的中することになる。

入園後一番つらかった話



保育園で一番辛かったこと。

「給食を残さず食べろ」「時間内に食べれない子は椅子を机代わりにして食べ終わるまで教室の隅で正座して食べろ」

自分は体が小さく早生まれおまけに父親譲りの小食で途中で腹いっぱいになるため時間内には食べきれずに結局、給食の時間が終わったあと胃の中のものが消化するのを待ちながらちょっとずつちょっとずつ食べるしかなかった。

(当時はなぜ食べれないのかわからなかった)

他にも時間内に食べれない子が毎回5人くらいいたけどその子達はせいぜい5分ぐらいで食べ終わりどこかに行ってしまった。

掃除の時間が終わり 昼休み時間の半分くらいまでいつもただ一人だけ取り残されていた。

当然、僕は保育園に行くのを嫌がった。

親は何がなんでも保育園入れると良いと思い込んでいて無理やり保育園に送りこんだ。(嫌がったのは全く記憶にない)

1仕方ないから保育園で食べようと努力する

2食べれない

3教室の隅に正座させられてただ一人取り残されて給食を食わされる。

4保育園に行くのを嫌がる。

5無理やり保育園に送り込まれる。

1に戻る2 3 4 5

1に戻る2 3 4 5



これが繰り返された。

何度かこれが繰り返されたあともう僕は保育園に行くのを嫌がるのをやめた。

嫌がらなくなったのを見て親はようやく保育園に慣れたんだと思ったんだろう。

実際はどんなに嫌がっても無駄、保育園にに行かないという方法はない

時間内に食べようとしても無駄どうせ自分は努力してもだめな人間。

他の子より劣っただめな人間だから自分ひとりだけ教室の隅に正座させられる

とにかく保育園にいるあいだ無理やり我慢すればいい。

緘黙になった原因かどうかはわかりませんが、自分の人生に悪影響を及ぼしたことは間違いありません。

今思うとあの時奴の顔に椅子を思いっきり投げつけてやればよかったと後悔しています。

ただこれは年少のときだけだったのか?3年間のことだったのかは不明です。年中のときの記憶がまったくないのですが、年長のときは掃除をした記憶があるんですよね。と言うことは年長の時の担任は良い人ではなかったと思うのですが、そこまで給食にはこだわっていなかったのかもしれません。

ちなみに僕がやられた給食を時間内に食べれなかったら椅子を机代わりにして教室の隅に正座して食べろ。

これ大人になった後、図書館で保育園と幼稚園選びに関する本を読んだ時にやってはいけないことで「こういうことをする保育園や幼稚園に入れてはいけない」とイラスト付きで書いてあった。

最近では、森友学園系の保育園で同じことをしていて虐待になるって問題になりましたね。

保育園・幼稚園の昼休み時間



昼休み時間、僕は他の子と一度も遊んだことがない。

他の子と遊んだことがないというより、一人遊びすらしなかった。

遊具にほとんど触ったことすらなかった。

遊びたいけど、仲間に入れないのではなくて保育園・幼稚園で遊ぶと言う発想がなかった。

ただ辛い場所なだけでひたすら時間を過ぎるのを待っていた。

年少のとき母親にこう言われたのを覚えている。

「隣の席の子の名前を覚えてきなさい」

保育園で友達ができるどころか隣の席の子の名前を知らなかった。

僕は隣の子の名前が何であろうとどうでも良かった。

あまりも母親がしつこく言うので仕方なく隣の席の子の名前だけは覚えたけど他の子とはまったく遊ばなかったし会話もなかったと思う。

雨の日と車のおもちゃ


朝、雨の日は部屋に車の乗り物のおもちゃがあって、みんなはそれに乗って遊んでいた。

僕はただそれをボーっと見ていた。

乗りたいけど乗せてと言えなかったんではなくまったく乗りたいという気にならなかった。

車のおもちゃが何台も空いていても乗って遊ぶことはなかったと思う。

車のおもちゃが嫌いと言うわけではない。もし家にそのおもちゃがあれば乗って遊んだと思う。

僕は保育園に行くと楽しいという気分が完全に消えてしまった。

昼休みの時間も同じで他の子が遊んでいる時に園の隅にただ立っていた。

誰も自分に遊ぼうと話しかけてくれる子はいなかったし自分も他の子のことを友達という感覚がなかった。

保育園の夏休み



僕が3歳の時の事、覚えている出来事がある

とある7月の半ばのある日に母親が僕に向かってこう言った。

「お兄ちゃんは小学生だから夏休みでしばらく学校は休み。お前は保育園に行きなさい。」

(はぁ?何言ってんだこの人!!)

「お兄ちゃんが休むなら僕も休む(泣)」と言ったら母親が承諾してくれた。

一人いても二人いてもあまり変わらないと思ったんだろうか。

母親が保育園に「夏休みの期間中は休みます」と電話しているのを近くで見ていて

「助かった これでしばらくはあそこに行かないで済む」と思っていたのを覚えている。

緘黙時と世話係

ほんとにうっすらとした記憶だからおそらく年少のとき?

緘黙の子は話せないため小さいときは、あれこれと世話を焼く子がつくことがあるらしい。

僕も幼稚園のときにそんな女の子がいました。

正直言って迷惑でした。

その子が嫌いというわけではないけどその子の行為はいやだったイヤでもイヤといえないのが緘黙仕方なく我慢をしていた。

僕は自由人で人にあれやこれやと指図を受けるの嫌いなんですよね。

幼稚園にいじめはない?



よくある幼稚園経営者の言葉

「幼稚園にいじめはない」

これって間違ってる。

幼稚園にもいじめる奴はいる。

実際、僕はいじめられた。

年少のときには悪口を言ってくる女の子が2人いたし年長のときには昼休み時間追いかけられてひたすら逃げてたのを覚えている。

たぶん、つかまったら何かされたから逃げていたんだと思うけど何をされたのかまったく記憶にない。

緘黙で話せない、友達もいない、体が極端に小さい、早生まれ

いじめるには最適の相手だったんだと思う。

言い訳はしたくないけど こんなのどうすればいいんだ。

幼稚園で自分にはどうにもならない状況にはまり込んでいってしまった気がする。

何で踊らないんだ



多分年少のときの話

お遊戯の時間がありました。(お遊戯会で踊るお遊戯ではありません)

踊らないで突っ立っていると、保育士が近づいてきて。

「何で踊らないんだ(# ゚Д゚)」と脅しをかけてきました。

緘黙で踊れなかったわけでなくて、ただ単に内容がくだらなかったので踊らなかったのですが・・・


その時、僕は思いました。

この「何で踊らないだ(# ゚Д゚)」は踊らない理由を聞いているんではなくて「踊れって言ってんだこの野郎」と言う意味なんだろう。

ここで正直に「くだらないから」と答えたら余計に怒り出すだろう。かといってこの保育士が気に入るような、気の利いた嘘も思いつかなかったので仕方なく黙っていました。

それにしてもお遊戯って脅して踊らせるものではないと思うのですが・・・

そのあとお遊戯会があったとき普通に踊ったらこの保育士にこう言われました。

「踊らないのかと思った」

どうやら奴は僕が踊らなかったら強制的に退場させるつもりだったようです。

お遊戯会で人が見ているんだから踊るに決まってんじゃん。

もし過去に戻れたら

もしあの時に戻れたらこう言ってやろうと思います。

「何で踊らないんだ(# ゚Д゚)」

じゃあ、あんたは家に帰って一人でお遊戯を踊るのか?

踊らないだろう。踊るわけないよね?面白くもなんともないんだから。

今あんたがお遊戯を踊っているのは仕事だからだ。自分で保育士になろうと思って保育士の試験を受けて、合格してこの保育園に履歴書と提出して採用された。

給料をもらうために自らの意思でこの場にいて、仕事としてお遊戯を踊っている。

でも僕は違って、親に無理やり連れてこられただけだ。

お遊戯を踊ったからと言って誰かが給料をくれるわけではないし、お遊戯を踊りたいから保育園に入れてくれと親に頼みこんでこの場にいるわけでもない。

何で踊らないか?

お遊戯会で踊るわけでもない面白くないお遊戯を、踊る意味が分からないから踊らないんだよ。

お絵描きの時間


多分年少のときの話、太ったおばさんがみんなに向かって「絵を書いたら見せにきなさい」と言った。

言われたとおりに馬鹿正直に描いた絵を見せに行くと「下手だ」と言われてけなされた。

(確かに下手だったけどそれはないだろう。)

次の絵を書く時間のときに他の子がそのおばさんに描いた絵を見せに並んでいるのを後ろの席で見ていて

「お前なんかに二度と見せに行くかよ」

と思っていたのをよく覚えている。

「見せに来い」と言われているのに見せに行かなかったから

「おまえ、何で見せにこないんだ」と怒りだすかなと思ってドキドキしていたけど腹が立っていたのでそれでも見せに行かなかった。

そのあと何度もお絵かきの時間があったけど結局、何も言われなかった。

どうやら奴は誰が見せにきてるかチェックしてるわけではなかったらしい。

考察

子どものころは「絵を描いたら見せにこい」と言って見せに行ったら下手だと言ってけなす。

見せにこいと言っているのに逆らって見せにこなくてもなにも言わない。

なんなんだこのおばさんっと思っていたけど

今はそのおばさんがどうしてそんな行動をとったのか理解できる。

「絵を描いたら見せに来なさい」と言ったのは描いた絵を見るのは仕事だから

下手だと言ってけなしたのは

仕事だから見せに来なさいと言っただけで個人的に子供の書いた絵を見たいと思っていたわけではなく子どもが書いた絵になんて答えるかは指示されていないから個人的な感想を言った。

見せに来なかったのに怒らなかったのは小学校と違って成績を付けるわけではないから誰が書いた絵を見せに来ているかチェックしているわけでないから。

プールとお泊り保育の風呂



幼稚園にはプールの時間があった。

完全には覚えていないけど所々覚えている記憶とにかく怖かったのは覚えている。

そのあとプールの時間 何故か自分ひとりだけ見学していた。

親が見学させてくれと言ったのか?僕が嫌がって面倒だから見学させたのかは定かではない。

あまり詳しくは覚えてはいないけど母いわくプールの時間、兄も僕も泳げないから幼稚園教諭はいじめるだけでまったく上達しなかったらしい。

この時のいやな記憶のおかげか小学生になってプールの時間の前はかならずわき腹が痛くなった。

小学2年になって水泳を習い始めて泳げるようになりそんなにプールの時間が苦痛に感じなくなってもわき腹の痛みだけは小学校を卒業するまでは続いた。




似たような話で年長の時にお泊まり会があった。

そこでお風呂の時間があったんだけど風呂に入るまで並んでいる記憶があるけどそれ以降のことは覚えていない。

ただ後から母親が言うには

「あんたの子供は風呂に入るのを嫌がった。」

と幼稚園教諭に文句を言われたらしい。

母親は3つくらいの時に風呂場で転んで頭を打って、けがをしたから風呂に入るのをいやがったんだろうと思ったらしいけど(小さい時に自宅の風呂場で転んで2針縫ったことがある)

僕が転んだのは自宅の風呂場で転んだ後も自宅の風呂には何の問題なく入っている。

何故怖がったのかと言うと風呂と言うのは水が溜まっていて、一歩間違えば溺れて死ぬ危険性がある。

僕は体が小さくて他の子と一緒に入ると周りから見えなくなるし他の誰とも友達ではない。

さらに幼稚園教諭との信頼関係が全くなかった。

何かあった時に助けてもらえるという相手が誰もいないって

怖がって当然だと思う。

この幼稚園教諭は仕事として風呂の時間は園児を風呂に入れないといけない。

と考えて

嫌がっている子供を無理やり風呂に入れようとしていたんだと思う。

過去に戻れたら

もし過去に戻れたらこう言ってやろうと思います。

嫌がってるんだからか入れなきゃいいだろ!!嫌がってるのに無理やり入れて頭でも打ったら、お前責任とれるの?

1日風呂に入らなかっただけで、ものすごい悪臭を発するとでも思ってるの?

子供と信頼関係を築けと言うつもりはないけど、やれと言われたことをなんでもかんでも馬鹿正直にこなそうとするのやめなよ。

幼稚園最後の日

あなたは幼稚園を卒園する日の事を覚えている人いますか?

僕は覚えています。卒園する子が園庭に散らばって歩いて

下級生が紙で作った輪を卒園する子の首にかけるというイベントがあった。

なぜそんなことを覚えているかというと、ちょっと記憶に残ることがあったから。

僕が歩いていると1人の男の子が前に来て、なぜか知らないけどその子の輪が切れていて

それでその子が

「切れているけどいい?」

と言った

僕は細かいこと気にしない性格なので

「うん いいよ」

って答えた・・・

あれ僕この時しゃべったんだろうか?

ただうなずいただけなんだろうか?

しゃべったような気がするんだけど

いまいち確証がないな。

しゃべったとすると僕の緘黙はまだこの時は完全にハマってはいなかったのかも。

この後教室に帰った後 担任の幼稚園教諭に「切れた輪っかを治せ」と言われたのを覚えている。

持って帰るだけなんだから切れていようが切れていまいがどっちでもいいだろうと思いつつ切れた輪っかを直しました。

あれじゃあ嫌いだと言うのもわかる

小さいころの記憶って結構あいまいだったりすることが多いですよね。

僕も覚えている部分と覚えていない部分があります。

年中の時は全くと言うほど記憶がありません。

不思議ですよね。

年中と年長ではあまりインパクトのある嫌な記憶がなかったのかもしれません。

ただ決して年中と年長の担任はいい人ではなかったし好きってことはなかったと思います。

年少の時の担任があまりにも性格が悪すぎてそれが記憶に残っているのかもしれませんね。

ちなみに年少の時の担任とのエピソードで父親が自営業で僕が卒園した後 偶然そいつと仕事関係で接することがあったそうです。

仕事が終わった後 母親が車の中で父親に

「さっきの人 俊太の年少の時の担任の先生だよ」と言ったら

父親が「あれがか あれじゃあ俊太が嫌いだと言うのも分かる」

と言ったそうです。

父親が仕事で何を言われた(された)のかはわかりませんが相当性格が悪かったんでしょう。

母親はその保育士について「すごく性格が悪そうな顔をしている」

兄は「あいつらは嫌いだ」

と言っていました。

幼稚園に入れて良かった

大人になって母親に言われたこと

「お前を幼稚園に入れて良かった。お兄ちゃんは幼稚園に入れて元気になった。(*^▽^*)」

何言ってんだろうこの人話が完全にずれてるよ。

最初が僕の話で最後が兄の話になっている。

一体、誰の話をしているのかわからない。

僕「俺は元気になったの?」

と母親に聞くと

母「お兄ちゃんは元気になったから」

僕「だから俺は元気になったの?」

母「お兄ちゃんは元気になったから」

これ以上話しても過去は変わらないからこれ以上は追及はしなかったけどわざわざ「幼稚園に入れて良かった」なんて言うのは「入れたのは失敗だったんじゃないか」と言う気持ちがあるからだと思う。

後日、父親と母親に幼稚園行ってどうだったか聞いてみたら

父親は「俺の時代には幼稚園なんてなかったから行っていない。」

母親は「ちょっと行ったけど他の子にいじめられて行くの嫌がったら可哀想だから行かなくていいっていうことになった。」

なんだそりゃ。

何で親の世代のほうが子供に甘いんだよ。

それに自分がいじめれたのに自分の子供がいじめられるという風には思わないんだろうか?

母親は早生まれでもなければ体が特別小さいわけでもないのに

早生まれで体が小さい 自分の子どは大丈夫と言う考え方はどうなんだろう?

「幼稚園に入れると良い何が良いんだかよくわからないけどとにかく良い」

こういう考え方の人って僕の母親に限ったことではないと思う。

物事はちゃんと頭の中で理解することが大切なぜいいのか? 幼稚園に入れるなら何のために幼稚園に入れるのか?

実際にいい影響を与えているのか?うまくいっていないと思うなら不都合な現実でも受け入れてどうするのが正しい選択なのか考えることが大切です。