学校の先生の考え方
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こんにちは、元緘黙の俊太です。YouTubeでこんな動画がありました。

親・教師・専門家が協力して解決していく。安心できる環境を作る。言っていることは正しいと思います。と言うか理想なんだと思います。

でもこれって教師の気持ちとか立場を考えているのかな?って疑問なんですよね。

学校の先生って子供の幸せだけを願って生きているわけではありません。教師には教師の都合や思惑があります。

学校の先生の行動を決める3つの考え方



学校の先生は大きく分けて3つの考え方で行動が決まります。

  • 学校の先生としての行動
  • 〇〇学校の教師としての行動
  • 個人的な性格や思想、やる気や能力の違い

学校の先生としての行動

授業をする。行事の引率をする。通知表をつける。騒ぐ生徒を注意する。いじめる子などを注意する。などは学校の先生としての行動です。仕事としてやらなければいけないことを、しないといけません。

〇〇学校の教師としての行動

学校の先生としての行動に似ていますが、それぞれ学校には方針があります。教師は校長の命令や上司の命令でも行動します。

ブラック校則って学校にあることがあります。ブラック校則を守らせることが、子どもの幸せにつながるのでしょうか?つながらないですよね。

でもなぜ教師がブラック校則でも守らせるために努力するかと言うと、〇〇学校の教師だからです。学校の決まりを守らせるのが仕事だからです。

個人的な性格や思想、やる気や能力の違い

学校の先生ってそれぞれ性格や思想、やる気や能力が違います。だから人によって言うことが違ったり態度が違ったりします。

優しい人間、厳しい人間、能力の高い人、能力の低い人、やる気のある人、やる気のない人それぞれいろいろです。人には良い面があったり悪い面があったりします。

人それぞれ良い面と悪い面があるのですが良い面の多い人もいれば、悪い面が多すぎる人もいます。

よく緘黙だから教師に、ひどい目にあわされたという話があったりします。でもそれって知識の違いではなくて人間性の違いのほうが大きかったりします。

自分勝手でわがままだったり、出来ない生徒を馬鹿にして喜んだり、子供をいじめて喜ぶような好ましからざる人物も中にはいます。

具体例

緘黙の子には安心できる環境がいい。でも学校の先生にはそれぞれ思想や性格があります。たとえば「厳しくして決まりをきっちり守らせるべきだ」そう言う思想の先生もいます。そういう先生に親が「安心できる環境にしてください(#^.^#)」と言っても難しいでしょう。何を優先するかはその先生の考え方があります。

緘黙の子を助けるのは教師の仕事か?



緘黙の子に対して正しい対応をするそれってどこまでが学校の先生の仕事でしょうか?教師の仕事って明確に決まっている部分と明確には決まっていなくて、あいまいな部分があったりします。

たとえば授業をする。これって教師の仕事として明確に決まっています。ここをさぼったらまずいですよね。あと通知表をつけるとかもし「面倒だから通知表をつけない」なんてことをしたら大問題になります。

じゃあ親が「うちの子と交換日記をしてください」と言ったらどうでしょうか?それって教師の仕事か?って聞かれたら微妙な問題ですよね。

交換日記だけでなく緘黙の子に対して「こうするといい、ああするといい」と言う方法はありますが、それって要望されたら必ずやらなければいけないことでしょうか?

学校の先生にしてみたら緘黙の子が話せるようになっても、ボーナスをもらえるわけでもないし出世できるわけでもありません。

子どもの緘黙を治すのは、教師の仕事として明確に決まっているのでしょうか?校長に緘黙の子を助けるように、指示をされているのでしょうか?

人は基本的に自分の利益のために行動します。ただし人には善意があります。善意の大きさは人それぞれです。相手の利益のためにどの程度、行動するかどうかはその人次第です。

大きな善意を持っている人もいれば、あまり善意が大きくない人もいます。

まとめ

まとめ

緘黙の本を読むと学校の先生が子供の幸せを願って生きているように思えます。でも実際の教師はそうではありません。あくまでも仕事です。

仕事としてやらなければいけないことはします。やってもやらなくてもいい事はやらない自由があります。

学校の先生は学校の先生としての行動+○○学校の先生としての行動プラスしてそれぞれの人間性や思想などで行動が変わってきます。

安心できる環境を作るのが良いのは確かですが、教師には教師の都合があります。教師の立場を考えて無理な要求をしないようにしましょう。